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海外で住宅ローンなしでマイホームを手に入れた国際カップル

この記事は ”ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』に学ぶ資産と負債” の追加記事となります。ぜひそちらもお読みくださいね。

 

一見しただけではわからないお金持ちと貧乏

『金持ち父さん貧乏父さん』の中に登場する主人公には二人の父親がいます。文字どおり、金持ち父さんと貧乏父さんです。ところがその本の中では、金持ち父さんはまだお金持ちになっておらず、貧乏父さんは貧乏ではありません。金持ち父さんは高校を卒業しておらず、貧乏父さんは高い教育を受けています。世間一般では、高学歴で知的レベルの高い職業についていたら、それを成功とみなしますよね。短パンにTシャツ姿より、スーツを着ている人の方が信用できそうな気がするのも、スーツ=知的レベルが高い、そんなステレオタイプなイメージがあるからだと思います。

私は田舎の農家に生まれ、一年中野良着(野良着ってわかりますか?畑で作業するときに着る服のことです)を着ている父と母のことを、心のどこかで恥ずかしく思っていました。都会に嫁いだ叔母さんたちがワイシャツにネクタイ姿のご主人と一緒に遊びに来たりすると、なおさらのこと、父や母のことを恥ずかしく思ったものです。子供心に、野良着を着ている両親は負け組、ネクタイにスーツを着ている叔父さんたちは勝ち組、と分けていたのでしょう。社会の仕組み、お金の仕組みなどわかりませんから、見た目だけで私はそう感じていたんです。

そして確かに、当時の両親の経営方法は完全に負け組でした。作ることは知っていても自分達で売るという発想がありませんから、販売は農協という団体に頼りっきりです。これでは一生働き続ける人生です。自分たちでコントロールができないのですから。しかし、自分で舵を握っているわけではないという意味では、スーツ姿がまぶしく見えたあの叔父さん達だって、貧乏父さんならぬ、貧乏叔父さんだったかもしれません。もちろんそんなことがわかったのは、何十年もあとのことですが。

 

ローンを払うためだけの人生

幼少時代の「負け組」の思い出が強かったのかもしれません。私は、自分の力で家を持つことが勝ち組の仲間入りのような気がしていたのです。家をどうしても購入したかったのは、そんな私の生い立ちも関係しています。

さて、それほどまでにどうしても欲しかった家ですが、『金持ち父さん貧乏父さん』を4分の1ほど読んだところで心変わりしてしまいました。その晩、オーストラリア人の夫と話し合いました。どうしてこの家を手放したくなったのかを。この家は私たちを雨や風から守ってくれる砦です。そしてこの家は私たちの社交の場でもあります。これまでどれほどたくさんの人たちがこの家を訪れてくれたことでしょう。夫のショートフィルム作成に関わってくれている人たちのミーティングの場所でもあり、1階は私の小顔サロンとなっており、年間何百人というお客様が足を運んでくださるホットな場所でもあります。そして何より、夫と私が「ただいま」と言って帰っていくことができる、世界にたったひとつしかないホームなのです。

このマイホームを手に入れるため、これまでにたくさんのお金を払い、これからもたくさんのお金を払っていく覚悟でいます。でも、こんなささやきが聞こえてくるのです。「私たちはここが好きでここにいると思っていたけど、本当は、この家のローンを払うためにここにいるんじゃないの?」と。

夫と私は、ここ(家)を拠点に、いろんな国へ行っては戻り、また行っては戻り、という暮らしをしたいとずっと話してきました。この家があるから安心して外へ出ていけるのだと思ってきました。でも、この家のローンがあるから、実はどこへも自由に飛び立っていけないのだとしたら、それは本末転倒ではないかと気づいてしまったのです。

 

人によって何が資産で何が負債かは異なる

家を買っては売り、買っては売って資産を作っている人たちがいます。私の親友もその一人。中国からオーストラリアに移住し、ビジネスをどんどん拡張しているやり手のビジネスウーマンですが、本業の傍ら不動産も手がけ、買いかえるたびに家のサイズと豪華さは上がっています。多くの従業員を雇い、住む家も豪華で、さすがだなあと感心するばかり。そしてそんな彼女を羨ましいと思ったこともありました。でも今は、羨ましという気持ちは湧きません。多くの従業員を抱え、立派な家を所有している彼女は、背負っているものも大きいのです。お金はあっても「好きな時に好きなところへ飛んでいく」ことがはできません。「休みたい時に休む」こともできないのです。

別の親友の一人が、先日こんなことを訊いてきました。「また家を買うの?」 とんでもない。もう家は買いません。私と夫にとって家は資産にはならないのです。そこで彼女がまた訊きました。「じゃ、みさおにとっての資産て何?」私にとっての資産とは、私と夫にとっての資産とは、「自由」です。一箇所に縛られることなく、好きな場所に住むことができるという自由です。

これを実行するのには、ちょっとばかりの勇気が必要ですが、そんなに大した勇気は要りません。あとはそれを実行させてくれるお金と時間と健康と、そして仲間が必要となります。お金と時間は働き方を変えることでなんとかなりそうです。健康は、何を食べるかでかなり左右されるでしょう。そして仲間。私の場合はバートナーとなりますが、パートナーが自分と同じように安定よりも変化を楽しんでくれる人でないと、実行は難しいかもしれません。

 

お金のかからないマイホームの入手

私たちにはあと20年間、家のローンを払う生活が待っていました。支払いが終わった時には米寿に手が届く歳になっている計算です。「80歳になって何をする?」と自分に問いました。何をしましょう。健康でさえあれば旅行はできるでしょう。でも、冒険はどうでしょうか?夫も私も、幾つになってもやりた事の興味は尽きないでいると思います。でも、今よりも体力や気力が上がっているとは思えません。

80歳になるまで待つのではなく、今、航海に乗り出そうじゃないか。

家を手放して借金をチャラにして、いつでもどこでも、好きな時に好きなところへ飛んで行ける状況を作ろうじゃないか。

どこに行っても二人のいるところがホームであり、彼が私にとってのホームであり、私が彼にとってのホーム。ホームって、家じゃなく、私たちがいるところそのものだね。

これが、夫と私がその晩話し合って出した結論でした。

ここまで書いて気付いたことがもう一つあります。私にとっての資産とは、私自身と夫です。私と夫とのパートナーシップです。綺麗事を言っているのではありません。私はお金が大好きですし、お金を稼ぐ方法も日々学んでいます。実践もしています。そのことを踏まえた上で、やはり私にとっての真の資産とは、私自身と夫、そして二人のパートナーシップだということです。夫と私は家を実際に買い、10年ローンを払ってみたことで、自分たちの資産というものがなんなのかに気付いたんです。家を購入してみなければ、これは実感としてわからなかったことだと思います。

あなたにとっての資産とはなんでしょうか。マイホームとは何処にあるのでしょうか。私たちにとってのマイホームは、私たちがいるところです。借家であろうとB&Bであろうとホテルであろうと、私たちがいる場所がマイホームになります。そう考えると、住宅ローンも頭金も、何も要りませんね。

あと1週間で私たちは購入した家を去ります。10年間、オーストラリアにあるこの家は私たちにとって確かに大きな宝物でした。感謝の気持ちしかありません。